<< 祈り 聖母マリアの出現を受ける 聖カ... >>
聖カタリナ・ラブレ 愛徳姉妹会修道女


f0139890_2312679.jpg



       1806年5月2日 〜 1876年12月31日

       湿気の多い地下墓地に埋葬されていたカタリナ・ラブレ修道女の遺骸は
       死後56年たって発掘された

       不思議なことに彼女のからだは完全にもとのままで
       聖母を見た眼は碧い瞳孔さえ残していた

       現在、遺骸は ご出現のあった
       パリの愛徳姉妹会本部・不思議のメダイ教会の
       祭壇の横に安置され多くの人の崇敬をあつめている

       1947年 彼女の死後71年
       ピオ12世教皇聖下によって 聖女の位にあげられた

       http://goseitai-to-seibo-no-sito.web.infoseek.co.jp/hushiginomedai-1.html









f0139890_2246558.jpgカタリナ・ラブレは1830年1月22日に長年の念願がかなって
パリの愛徳姉妹会に志願者として受け入れられました

彼女は1806年5月2日に北フランスの田舎町ファン・レ・ムティエという農村に生まれ
カタリナ・ゾエと名付けられ 生まれた翌日の土曜日に洗礼を受けました
ゾエとは「いのち」という意味です

彼女は学校教育を受ける機会に恵まれなかった農家の娘でした
カタリナの母は信仰深く
毎日の忙しい生活の中でも子供たちにキリスト教の教えを話し
お祈りを教えたのでした
8人兄弟だったカタリナの後にも 妹のトニーヌとオーギュストという弟が生まれ
一家は喜びの内にありましたが
ある日、末っ子のオーギュストが荷車から落ちて動けない身体になり
このことから一家の暮らしは苦しくなっていきました

このことによる心労と苦しい仕事のために カタリナの母は病気になり
カタリナが9歳の時、1815年10月9日にとうとう亡くなってしまいました



この母の死は 幼いカタリナにとって大変なショックで
彼女はそのことに打ちのめされそうになりましたが
彼女は母が毎日子供たちに唱えさせていた マリア様の祈りを思い出しました

彼女はイエズス様のお母さまであられるマリア様に依り頼むことに慰めを得たのです
彼女は母の死を知ると 母の寝室の椅子の上にあがって
暖炉の上においてあった聖母マリア様の御像を手に取り
胸に抱きしめて大声でいいました

「愛する聖母マリア様 今日から私のお母さんになって下さい」
このときからカタリナは聖母に依り頼み、自らを聖母に奉献したのでした


3年が過ぎ カタリナが12歳の時
23歳の姉マリー・ルイーズが神さまからの召しだしを受け
聖ヴィンセンシオ・ア・パウロが創立した
愛徳姉妹会のシスターになりたいと父に願い出ました

父は家事や弟の世話を誰がするのか心配でしたが
12歳のカタリナは母親代わりにすべて引き受け
姉はシスターになることが許されたのでした
姉のマリー・ルイーズがシスターとして 家を離れる少し前に
カタリナは初めての御聖体拝領を受けることができました

彼女はこの時から 幼かったにもかかわらず 一家の主婦代わりとして
父や、弟、妹、雇い人のために食事や洗濯
裁縫の仕事から家畜の世話までこなしたのでした
そんな忙しい毎日の生活の中で 彼女は毎朝御ミサにあずかり
暇を見つけては御聖体を訪問しイエズス様に祈りを捧げたのでした

カタリナはある夜忘れられない不思議な夢を見ました

その夢の中で 彼女が教会でお祈りしていると
一人の年老いた神父様がやってきて 御ミサをお捧げになりました
その神父様が じっと彼女のことを見つめたので
彼女は逃げ出したくなりましたが
神父様は
「あなたはいつか私を見つけるでしょう
神さまはあなたに託す一つの計画をもっておられます」とおっしゃいました。
 

この夢を見てから、修道女への召しだしを強く感じたカタリナは
父親に愛徳姉妹会に入りたいと申し出ましたが
父は もうすでに一人の娘を神さまにお捧げしていることを理由に
許しを与えてはくれませんでした

それから 数ヶ月して カタリナが18歳になり
妹のトニーヌが家事を引き受けられる年齢になると
カタリナはもう一度父親に 愛徳姉妹会のシスターになりたいと申し入れました
しかし 父はこの願いを聞き入れてやるどころか激しく反対し
彼女の兄のシャルルが経営するパリのカフェへ手伝いに出しました

父は都会のパリでの生活が
カタリナの修道女への召しだしを忘れさせてくれるのではないかと期待したからです
兄のシャルルは 妹のカタリナが来たのを心から喜んでくれましたが
彼女が召しだしのことで苦しんでいるのを知ると父に話してくれました

父はやはり許してはくれませんでした
シャルルは カタリナのもう一人の兄のユベールと話し合い
その結果 ユベールの妻が経営する寄宿学校で カタリナをあずかることにしました
この学校は 故郷のファン・レ・ムティエから そう遠くない
シャティヨン・シュル・セーヌというところにあり
ここで はじめて カタリナは読み書きを習うことができたのです

偶然 このシャティヨンの町に愛徳姉妹会の修道院があるのを知り
喜んだカタリナは修道院を訪れました
すると その玄関に見覚えのある神父様の肖像画が飾ってあったのです

すかさず 彼女はシスターに尋ねました
「この神父様はどなたですか?」
シスターは
「この方は愛徳姉妹会を創立された聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ神父様ですよ」
と答えました

そうです
以前、不思議な夢の中で出会った神父様その人だったのです
その後 彼女の修道生活への望みは強まるばかりでした
カタリナが幸せそうに シャテヨンの愛徳姉妹会に通う様子を見たユベールは
もう一度父親に話してくれました

そして ついに 父はカタリナの修道生活への召し出しを
神の御旨と受け入れて修道女になる許可を与えてくれたのです
ただ 彼女には教育がないという理由で
すぐには修道会に受け入れられませんでしたが
ついに 彼女は23歳で 志願者として 愛徳姉妹会に受け入れられたのです

そして 4ヶ月後の1830年4月21日に
パリのバック通り140番地にある 愛徳姉妹会の修練院に
修練女としての入会を許可されました
この修練時代、彼女は御聖堂に入る度に
御聖体のうちにイエズス様の御姿を幻視するようになったのです
[PR]
by maria-letter | 2007-09-14 22:47 | Paris
<< 祈り 聖母マリアの出現を受ける 聖カ... >>